ヨルシカファンが語る。個人的に好きな曲5選


どうも、ヨルシカ好きの一般男性、ひるのです。
ヨルシカは「靴の花火」から聞いているのですが、直近2,3年の曲が僕に刺さりすぎる…。
最近の楽曲は、Yutubeの概要欄にn-bunaさんの文章が張られていますよね。その文章を読んで、曲を聴いて、自分なりにヨルシカの世界を想像することが大好きです。
今回は、ヨルシカ好きのあなたに向けて、個人的に好きな曲を、自分なりの解釈で語りたいと思います。
アポリア
アポリアは「チ。-地球の運動について」のEDテーマ曲で、変拍子が特徴的ですよね。サビから4拍子になって、開けていく感じがたまらなく気持ちいいです。
好きな歌詞をいくつか語っていきます。
まず、曲の始まりの歌詞が大好きです。
描き始めた
あなたは小さく
ため息をした
あんなに大きく
「チ。-地球の運動について」では、主人公が地動説の証明のために、多くの壁にぶつかります。「チ。」の世界観を踏まえて、この歌詞を聞きながら論文を読んでいると、気持ちが高まりいつも論文に没入できます(笑)。
こんなにAメロにぴったりな歌詞が他にあるんでしょうか。
遠い国の誰かが月と見間違ったらいい
僕は「月の立つ林で」という小説から、一つ教訓を受け取りました。
月自身、自分が光っていることを知らないように、もし自分が光っていても、自分では分からない。
自分自身が光っていることを自分では確認できないから、せめて遠い国の誰かにとって、光る月であったら嬉しいな。
僕はこの歌詞をこう解釈しました。n-bunaさんはどう思って書いたんだろう。
長い夢を見た
僕らの気球が行く
あの星もあの空も実はペンキだったらいい
広い地平を見た
僕らの気球は行く
この夢があの日に読んだ本の続きだったらいい
「チ。-地球の運動について」の登場人物は地動説に魅了されることで、現実に生きることを辞め、夢の中で生きていく。そんな話のように感じました。
夢(地動説の証明)を追いかけることで夢(現実じゃないどこか)で生きていく。2つの意味で「長い夢を見た」という歌詞はあるのでは、と思いました。
この曲を聞きながら、外を歩いていると感じることがあります。星も空も実はペンキで、ここは本の中で、つらい現実もフィクション。
この曲を聞いている時、現実を忘れられる時があります。
でも本当に、現実は存在しているのだろうか。夢の中かもしれない。
あの海を見たら
魂が酷く跳ねた
太陽の光が反射して光っている海の水面を見た時とか、空に広がる青の純粋さを見た時とか、これらを見て、僕はなんとも言えない感情になったことがあります。
この歌詞を見たとき、さっきの僕の感情は魂がひどく跳ねた様子だったんだ、そう思いました。素敵すぎる表現ですよね。
魂が酷く跳ねる瞬間のために、いつも生きている気がします。
テレパス
僕は「テレパス」の構成が大好きです。低音パート(Aメロ)では、主人公(僕)が主に話し、高音パート(サビ)では貴方が主人公のために語ります。Aメロとサビの楽器構成の対比と、suiさんの歌声の使い分けが「テレパス」の魅力を底上げしていますよね。
僕の一番好きな所は、サビ頭の歌詞です。
想像して世界を変えて お願い、一つでいいから
ここを聞くたび、元気づけられています(笑)
僕は想像力がその人の存在を形づくると、思っていて、一つ想像するだけで世界は変わってしまう、そう信じています。何か一つ、世界が変わるような考え方や言葉を、生きている間に見つけたいですよね。
修羅
修羅は「怒り」をテーマにした楽曲ですよね。n-bunaさんはYouTubeの概要欄で、「怒り」をこう表現しています。
怒るというと、怒鳴り散らすようなそれを想像するかもしれませんが、そんな発露はほとんど出来たことがなくて、そうではないものです。何と言ったらいいでしょうか、ただ、静かな怒りです。腹の底で静かに動くようなそれです。風のない湖に一てきの雨が落ちるような、そういうものです。
怒りなんです。それが僕を正常にさせてくれないのかもしれません。家族にすら、露出することの難しい何かです。 怒りはよく、ぐつぐつとしたマグマとかに喩えられますよね。僕のものは少し違うように感じます。すう、と冷たい風が通るような感覚です。ぽっかり空いた穴の縁を風がなぞるような、冷たさです。 そういう怒りです。
この文章を読んで、僕も普段、「風のない湖に一てきの雨が落ちるような」怒りを感じているような気がしました。
例えば、SNSの投稿やコメント欄であったり、ネットニュース、不安を煽るような広告です。毎日のように触れてしまうから慣れてはいるけど、どうしても心がほんの少しだけ、マイナスに傾きます。暗い情報の方が人の食いつきが良いのは分かっているけど、考えてしまいます。
そんな気持ちになったとき、この曲を聞きます。おれはひとりの修羅なのだ、と思うと心が少し軽くなります。
火星人
自分の周りと違う部分を見つめたとき、「実は僕は宇宙人で、仲間が空から現れて誘拐してくれないかなー」って、考えたことはありませんか。自分と似ている人が集まってる惑星に行きたいとか。
「現実を忘れて火星(理想)に行きたい」そういうテーマの曲なのかなと、思いました。
好きな歌詞を語ります。
火星でランデヴー
惰性の日々 理想は引力
僕が見たいのは自分(おまえ)の中身だけ
惰性の日々 理想は引力 って言葉なんかめちゃくちゃ良くないですか(笑)。言葉としての力を感じます。理想は引力。魅力的な単語の組み合わせだ。
「僕が見たいのは自分(おまえ)の中身だけ」mvでおまえと、歌う瞬間、にmvの中の火星人がこっちを指さしてくるんですよ。ヨルシカが自分に向かって歌ってくれている感じがして、感無量でした。
僕が見てるのは言葉の光だけ
火星人の中で一番好きな歌詞かもしれません。
新しいことに挑戦するとき、親や友達から止められるときがあると思うんです。そして、それをはじめようと思った動機にはたぶん誰かの言葉や文章がある。
親や友達から止められたとき、僕は「僕が見てるのは言葉の光だけなんだ」と言いたくなります。言葉の光にずっと騙されて、目の前のことだけに向き合っていたいから。
太陽
太陽は人生を俯瞰的に見た曲のように感じました。1人か2人の人生を描いていて、人生を行ったり来たりを繰り返しながら進んでいく。この曲を聞いていると、人生が美しく見えます。
私が歩いた道も、私の足も
私が触った花も、私の指も
私が死ぬ日の朝も、その他の日々も
緩やかな速度で追い抜いてゆく
ゆっくりゆっくりとあくびの軽さで
行ったり来たりを繰り返しながら
ゆっくりゆっくりと彼方へ
恐る恐ると羽を広げながら
深い関係の2人の人生の流れの歌だと、思いました。例えば母親と子供とか。
母親が体験したことを子供もゆっくりと体験していく。時には嬉しいことも悲しいこともあって。恐れながらも進んでいく。
言葉にできない感情になります。人生の一瞬一瞬を体感して、大切に生きていきたくなりました。
素敵なコメント
YouTubeの「太陽」のコメント欄に、心を打たれた文章があるので紹介します。
人生100年とか言われるとものすごく長く感じるけど、いつの間にか年取ってる。それが思っていたよりあっという間だから、私はこのまま有名人のように名も残せずこの世から消えてしまうのかなって考えては虚しくなる夜がある。 だけど、人類が生きてきたこれまでの長い年月を思い浮かべると私の100年の人生なんか見えないくらいちっぽけなんだけど、小さい頃に蝶を追いかけて走った時の景色とか、窓から差し込む柔らかい日差しを浴びながら昼寝してた時とか、川に手を入れた時の包み込まれるような優しい感触とか、夏祭りの帰り道で親の少し後ろ歩きながらその背中を見て感傷にふけってた時とか、上京してから1人で眺めた夜の街並みとか、淡々と続いてきた日常の中でもこんなに自分が美しいと思えるものがあったことに気がつく。その記憶と感情はたしかに私だけのものだし、いつか私の存在は消えてなくなるかもしれないけど、私自身がこの世界に私という人間が生きていたって思えるだけでいいんだとも思う。そして私が死んだ後に、全ての生命の営みを見守ってきた太陽が私の生きた証も静かに飲み込んでくれたらいいな。
汐こんぶ – YouTubeさんのコメントです。
「淡々と続いてきた日常の中でもこんなに自分が美しいと思えるものがあったことに気がつく。」汐こんぶさんのおかげで、美しかった思い出を思い出すことができました。今の自分に価値がないなと感じることがあっても、過去の日常の中に美しい思い出はあったし、今も川や日差しは美しい。
「私自身がこの世界に私という人間が生きていたって思えるだけでいいんだとも思う。」
僕もそう感じることができました。
汐こんぶさんの書く小説・詩を読んでみたいです。